2010年08月28日

血液型と顔立ち

血液型で顔だちまで違うの?と思う方もいるかもしれませんが、やはり特徴傾向があるのです。

kaodati.jpg
イラスト=KOKO

例えばO型は、パーツも全体も丸みのある感じです。
広くてまるいおでこ。(特に女子)
まるっこい小鼻、あるいは大きめの鼻の穴。
目、鼻、口も、少し大きめか、まるっこい。

A型の一番の特徴はしゃくれ気味の顔だち。
眉毛はしっかりしていて寄り気味。
鼻はとがった感じ。
口元がなんとなく控えめ。
全体的にパーツが中心寄り。

B型は、A型とは逆にパーツが中心から離れ気味。
ほお骨が出ている人も多く、少々ゴツゴツした感じも。
小鼻も少々横に広がり気味。

AB型は、端正かガチャガチャか、分かれることも多い。
おでこの生え際が不揃い。
鼻の先がワシ鼻の人が目立つ。
目が黒めがち。

日本人を観察する限り、5、6割ぐらいに当てはまるかなというところです。
どうして顔立ちにまで影響があるのかなと考えてみると、人類が進化の過程で環境の影響を受けているのだとすれば、なるほどとも思います。
血液型遺伝子というのは、環境に適応するための、ひとつのツールだったのではと考えると、骨格にもある程度影響するのだろうということです。

しかしよくよく観察していると、単に顔立ちというより、話したり、笑ったり、表情が動いた方が共通性が滲み出るというのが分かります。
↓  ↓  ↓

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2010年08月24日

血液型が集団に及ぼす影響

血液型が皆さんに知られるようになったことは嬉しいことです。
しかしその弊害も残念なことにあるようです。
「●型は嫌い!」
「私は●型の人とは合わない!」
そういう考えや発言が間違いなのは、ちょっと冷静になれば誰でも分かることです。

人にはそれぞれ役割があります。
この世界に命を持った以上、その人にしか成し得ない何らかの役割を担っているのです。
なぜかと言えば、世界の全ては繋がっているからです。

あなたが今日、笑顔で朝を迎えたとします。
すると、笑顔のあなたに会った人も、何となく嬉しい気分になります。
気分をよくしたその人は、また別の人の気持ちを和らげるはず。
あなたの笑顔の種が、それはほんの少しかもしれないけれど、あなたの知らない人にまで広がっていきます。
だから世界は繋がっているのです。

血液型にもそれぞれの役割があります。
ひとりひとりがそうであるように、それぞれの特性には意味があるのです。
お互いが支えあって全体を動かしているのです。

たとえば、それぞれの血液型は、集団にこんな影響を与えています。

O型は、集団に活力をもたらします。
A型は、集団に秩序と調和をもたらします。
B型は、集団に変化をもたらします。
AB型は、集団にバランスをもたらします。

もしも全ての役割が果たされたとしたら。
理想の集団が生まれるはずです。


4つの血液型の本当の意味は、今のところ神のみぞ知るところかもしれない。
でも、今ある事実を理解して、あれこれと想像したり、思案したり、議論したり。
そういう時間こそがワクワクするのです。
それは、「私たち人類は何処へ行こうとしているのだろうか?」という、最も深遠な問いへの答えに、近づける気がするからです。

2010年06月08日

管内閣 内定

管内閣、今日(8日)発足です。
内定している顔ぶれは以下に。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
首相 菅  直人(O)
総務 原口 一博(A)
法務 千葉 景子(O)
外務 岡田 克也(O)
財務 野田 佳彦(B)
文部科学 川端 達夫(A)
厚生労働 長妻  昭(AB)
農林水産 山田 正彦(O)
経済産業 直嶋 正行(A)
国土交通 前原 誠司(A)
環境 小沢 鋭仁(B)
防衛 北沢 俊美(O)
官房 仙谷 由人(A) 
国家公安・拉致問題 中井  洽(A) 
金融・郵政改革 亀井 静香(A)
国家戦略・消費者 荒井  聰(O)
行政刷新 蓮 舫(A)
公務員制度改革・少子化 玄葉光一郎(O)
ーーーーーーーーーーーーーーー

再任が多いので血液型分布もそれほど変わりません。
A型とO型が多いですね。
それの方が結束があるので、O型首相のときは案外そうなります。
官房長官に仙谷氏(A)を選任したところに、管さんのO型的な堅実さ、したたかさ、戦略性が見えてきます。

さて、私個人としては、
華々しく支持された鳩山政権より管政権の方が興味があります。

(C.I)

2010年04月12日

ワークショップを終えて(1)

先週末に、ワークショップを開催しました。
今回お集りの方々は、能見正比古の以前からの読者さんばかり。
なんと、(ニックネームで呼ばせて頂くと...)しいちゃん(B)は、幼稚園の時には既に独自に観察を始め、小学校6年生の時から"人間学"を読んで下さっているとか!!
能見正比古が生きていたら、即座に強制弟子入りさせられたでしょうね。
それに、他の方も、みなさん同じように深く、私にしてみれば、ご先輩方ばかりということになります。
(にも関わらず、いろいろ生意気なことを言わせて頂いて、大変申し訳ありませんが。)
とにもかくにも、今後の研究チームに発展させたいメンバーさんらの集まりとなりました。

そこで、まずは肩ならしに、園児たちのVTRで行動観察をして頂きました。
どの場面も、非常に興味深い行動傾向が見えるのですが、いつも人気のあるのは『ケーキの箱実験』です。

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2009年08月07日

B型的平行思考の野村監督

最近のプロ野球の世界はひょうきんな選手たちも多くなったようで、お立ち台でパフォーマンスを見せてくれたりもして、いろいろと観客を楽しませてくれるのですが、中でも、プロ野球界の一級名物といったら......
楽天監督、B型野村監督の「ぼやき」です。
記者たちは、試合の後、野村監督が今日はどんな発言をするのか、もう、一言も聞き漏らすまいと、うずうずしながら待ち構えています。

監督の、そもそものぼやきの始まりといえば、同じB型、野球界のスーパースター長島茂雄さんに対して「彼はひまわり。オレは月見草」なんて自分を比喩したところからでしょうか。
野村監督は、選手時代、本当に雑草のように這い上がってきた人です。
体が大きかったわけでもなく、肩が強かったわけでもなく、これといってプロでやっていける資質に恵まれていたわけではありません。その上、家は貧しくて野球が存分にできる有名学校など到底入れませんでしたから、当然無名のまま、当時の南海のテスト生として、やっとの思いでプロの世界に入ったのです。
そして今度は、1軍入りを果たすための、更に大きな壁があります。
彼のプロ野球界デビューは、本当に執念と努力で勝ち取ったものだという気がします。
一方、長島茂雄さんは、みごとにエリートコースを歩いてきた方です。
お二人は、たしかに、対極にいるB型とも思えます。
ただ、よく誤解されていましたが、決して2人は仲が悪いわけでも、それから野村監督が長島茂雄さんを批判したかったり、嫌っていたりするわけではなかったんですね。
野村監督は、長島さんを非常に興味深く思っていたでしょうし、自分にはないスター性に憧れていたり敬愛を持ってもいただろうと思います。
野村監督の、あまのじゃくというか、ひがみっぽい偽悪趣味というか、そんないかにもB型的な、面白がっての言い方に、マスコミや世間が、勝手にイメージ作りをしてしまったのでしょう。

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2009年07月29日

分析すると距離が生まれる

AB型は、人との距離があると言ってきましたが、実は、AB型に限らず、ここ最近は多くの人に、人との距離ができているような気がします。
だから一見、人々がAB型化しているかのような錯覚に陥ります。
私が思うに、それは明らかに情報化の副産物だと思うのです。

人との距離というのは、なぜできるのかというと、「分析」するからなんですね。
分析するというのは、客観的に見ることで、それはおのずと相手と一歩距離を置くことになります。

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2009年07月27日

AB型に対して悩むポイント

これまで、いろいろな場所で血液型に関する質問や相談コーナーを設けてきたのですが、これが面白いことに、悩むポイントというのが実に血液型ごとに似ているんですね。
A型がB型の恋人を持った時に悩む場所、O型が自分について悩む場所、などなど、それぞれのタイプごとの悩みどころが、あまりに似通っていることが多いので、同じ人が同じ質問をしているのかと思ったりしてしまうぐらいです。
血液型が、私たちの精神活動にいかに共通した影響を与えているかという事実を、改めて知らされるのですね。

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2009年07月24日

血液型人間学-はじまり(3)

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研究ノートより(3)-------「血液型人間学」(サンケイ出版、1973年刊)

血液型に関する迷信は、ないことはない。古川説は学界から黙殺されたが、潜在的な興味や関心は
人々の心の中に流れ続けてきた。中には、自分の目で確かめながら、多くの事実をつかんでいる人もすくなくない。しかし一方では、大した根拠も持たず、ごく局限された観察だけに基づいて、血液型と気質について天下り的な理論をかかげ、説き回る人が、何人かいる。この場合は、迷信と言わざるを得ない。これらの人々は、奇妙なことに、共通して一つの説に落ち込んでいる。何型が何型に強い....などという関係がグルリ一巡する循環理論である。人間の心と行動が、このような単純な形式では割り切れないことは既に述べた。このような迷信は、少なからず研究の足を引っぱることになる。
 もう一つ困るのは、血液型と気質の関係に人々の関心があつまるのをタネにしようとする山師的
人間の徘徊である。戦前にも、「一目で判る血液型と性格判断!」と称し、大道香具師のように怪しげなパンフレットを売りつける人物が現れ、この分野の研究を著しく妨害した例があった。マス出版の現代では、香具師は、活字に乗って現れる。
 最近、ひどい例があった。いちおう、実名は伏せるが、Sという若い男の書いた、新書版の単行本である。私の著書から、内容の無断盗用はもとより、30数カ所にわたって私の文章までコピーしている。私が知人から聞いた話しを、ある夫婦の例として、さも自分が観察したように書いている。呆れるのは私がA型B型の夫婦について述べた部分を、そのコピー本は2カ所にかかげているが、一カ所では写しそこね、AとBをとり違えている。それに余計な解釈をつけているから、恐ろしく首尾一貫しない本となっているのだ。
 指摘するとSは、この本はSの自費出版のようなもので、
「私は、何も知らないんです。先生、これからも血液型のこと、いろいろ教えて下さい」
と、Sは何回もおじぎをくり返した。私は若い者の将来を、つい考え、文面で謝罪状を受け取り、盗作本回収の代わりに若干の補償金を収めるだけで目をつぶることにしたのだが、どうやら甘すぎたらしい。Sは、その後も、スキを見ては盗作本の販売を続けている。私が調査したことを何かに発表すると、とたんにその結果を使って、適当なコメントを付し、自分のもののような顔をしてコソコソと婦人雑誌などに書いたりする。
 私は血液型による人間の分類研究を、独占しようなどという気は、むろん、毛頭ない。また、できるものではない。この広汎な分野は1人や2人で成し遂げられる仕事ではないからである。同学の士が1人でも多く現れ、相ともに研究に協力し合い調査結果を交換し合っていくことを、むしろ夢見ている。「知識は万人のものでなければならぬ」のだ。私の集めた資料は、そうした同学の人には、ことごとく公開すべきものである。その立場からいえば、せせこましいことを言うのは、まことの本意ではないのだが、事実最近だけでも、著作権侵害に類する件は、この血液型について、すでに十指を越えているのだ。
 このような事実があるので、もし本書の引用を必要となさる方があれば、どうか良心的にやって頂きたい。無断転載はもちろん、ご遠慮願いたい。新しい分野の研究が、実りある進展をすることを望まれる人々や、マスコミ関係には、むしろ、こちらからお願いしてでも強力させて頂くつもりである。
 人間科学は数学や天文学などとは違い、社会と没交渉では一歩も進み得ない。万人の強力による万人のための分野である。私はこの分野に真の意味の大衆科学のあり方を見つめている。
 この分野に真摯な関心を持つ方々が、少しでもふえていき、そうした人々にお目にかかる機会を、心から待ち望んでいる。

研究ノート終わり。
ありがとうございました。

2009年07月21日

血液型人間学-はじまり(2)

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研究ノートより(2)-------「血液型人間学」(サンケイ出版、1973年刊)

 私はよく血液型研究家と呼ばれて迷惑している。その都度お断りするのだが、私は作家として、人間の性格や心の動きに関心を払ってきただけである。それを知る物差しとして血液型を使ってきたに過ぎぬ。生理現象としての血液型の知識は受け売り以上のものではなく、事実、血液型そのものを、いくら研究してみても人間のことはわかりっこない。
 たとえばバレーボール選手や力士の血液型別リストを、血液型に精通する医者に見せても、ポカンと眺めるだけの人がいいであろう。逆に血液型のことを知らないスポーツ評論家たちに見せると、彼らはたちまち興味を示し、たちどころに血液型ごとの共通の特徴を発見し指摘する。理由は、彼らがバレーボールや相撲について、くわしく知っているからである。
 もし私が、この分野の研究にいくぶん成功を収めているとすれば、それは私の長年の、多くの分野にわたる無数の人々との接触と作家体験のせいである。私は心理学を含む人間科学は、研究者自身血まみれ泥まみれになり、手と足をフルに使って、人間に関する資料をつかみとって来なければならないものと考えている。いわば人間科学のフィールドワーキングだ。書斎や研究室が中心の学問ではないのである。
 私が一つ年長の亡姉、幽香里から、血液型と気質の関係を聞かされたのは、中学に入って間もなくだったが、関心を強く持ち始めたのは大学以後である。私は400人ほどの寮の委員長となり、寮内のよろずもめごとに立ち会って来た。戦時中のことで、寮生名簿には血液型が記入してある。それを見ながら寮生に接しているうちに、気質の違いが、ありありと浮かび上がって来る。これはただごとではないと私は座り直していた。最初にまず具体的な事実に直面したのが幸いしたと思う。
 それでも、やはり最初は、一般の性格用語と血液型を対応させようとした。神経質は何型かというたぐいである。何型は外交性かというようなことである。こういうことをしているうちは、さっぱり成果が上がらなかった。当たり前のことである。神経質という単語の中には事実はないのだ。事実は事実の中にある。具体的な現象の中から、たとえ断片でも、それが矛盾に見えても、事実を事実のままに拾い集めて来るのが大切なのだとわかってきた。こうして集めた事実を集成すると、A型ならA型の気質が浮かび上がる。そのA型の気質は、何タイプなどと名付けようもないし、名付けても全く無意味である。A型はA気質としか言いようがない。そして集めた気質の断片をより基本的なものと、より枝葉的なものとに仕分けながら関連づけ整理していく。
 そうは言っても、簡単に進行したわけではない。これは重要な気質の問題だと思ったことが、ただの習性にすぎないことがわかって落胆したこともある。矛盾は矛盾のままといったが、あまりにも不合理な人間の行動にぶつかると、迷いもするし、抵抗を感ずる。
 今になれば笑い話だが、本人の申告に基づいて、A型の妻を長くO型と信じていたのも、私を随分混乱させた。これは戦時中の検査ミスである。戦争中に集団で行われた血液型の検査にはかなりのミスが多い。5、6年前、妻の正確な血液型が判ってから、多くの不明な点がいっぺんに辻つまが合ったのは事実である。 
 こうして整理して来た結果の一端を、1971年夏『血液型でわかる相性』の著名で出版した。大衆的な体裁をとっているが、新しい分野の研究を世に出す場合、やむを得ない事情がいろいろとある。
 多くの人々から激励をいただいた。現在ではさすがに血液型と気質の関係を頭から否定する科学アレルギーの人は、ごくすくない。この問題についての関心を、アンケート調査したことがあるが、血液型と気質は関係ないとがんばる人は、常に5パーセント以内である。
 もっとも、中には、「血液型と性格、あれは迷信だ」と言って歩く人も、ないではない。迷信とは、事実を示す資料も根拠もなくて、何かを信ずることをいう。この人はもちろん、血液型と性格の関係を否定するための、これといった調査資料を持っているわけではない。迷信ということ自身が、迷信なのである。

研究ノート(3)へつづく

2009年07月20日

血液型人間学-はじまり(3)

血液型と気質のこと、その研究の歴史を知らない人は多いようです。
能見正比古の著書を入手するのもなかなか困難です。
そこで、ぜひ皆さんに知って頂きたいと思いますが、私の言葉で書くより、能見の文をそのまま引用する方が良いと思いました。
彼が長年の研究蓄積をまとめた最初の代表著書「血液型人間学」のあとがきを、3回に分けてご紹介します。

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研究ノートより(1)-------「血液型人間学」(サンケイ出版、1973年刊)

 血液型と性格の関係が日本で言い出されたのは大正時代である。血液型の発見が明治34年だから、ずいぶん早い気づかれ方である。主唱者は教育心理学者で東京女高師(現、お茶の水女子大)の古川竹二教授である。研究は昭和7年「血液型と気質」(三省堂)にまとめられた。
 当時はちょっとした血液型ブームであった。軍隊の一部では兵の適性を見分ける重宝な方法として歓迎された。古川説の信奉者もふえ、憲政の神様、尾崎萼堂も、その一人だったという。『文芸春秋』誌に医学者の浅田一が「煙草の吸い殻からも性格がわかる」と題して古川説を紹介したりした。
 勢いを得た古川氏は『血液型研究』なる雑誌を創刊したが、主として医学界に生じた反対派の、大げさにいえば迫害に苦しめられた。古川氏自身も、やや教祖的な相貌を呈してきたのも、悲劇であった。
 私は、古川氏の開拓者(パイオニア)的業績は、だれよりも高く買うが、さて、その内容となると、反対を受けても仕方のない面がある。これは氏の責任ばかりとは言えない。当時は血液型の知識の普及は貧弱なもので、観察のためにはいちいち、血液をとって調べねばならない。血液型が普及したのは、第二次大戦中で、今では成人の8割以上が自分の血液型を知っている。研究の便不便には格段の差がある。
 古川研究の最大の弱点は、それも氏のせいではなく血液型の罪でもないが、血液型別に人々を分類し、さてそれを分析しようとしても、そのための心理学やその他の人間科学諸分野が、当時はまるで弱体だったという点である。古川氏の中心的な調査方法は、まず質問項目を能動的と受動的の2組に分ける。それぞれの組に「陽性のほう」「きかぬ気のほう」とか、「おとなしいほう」「内気なほう」など10項目ずつ列記する。被験者に、自分に該当すると思われる項目にマルをつけてもらい、さらに全体として、自分が、どちらの組に属するのかを決めるのである。
 しかし、再三述べているように、自分で自分の性格を評価するのは、直接的で良さそうに思われるが、じつは、最も信頼がおけないのだ。また、この能動と受動の区別を中心にすえたのは、当時もてはやされたユングの外向性・内向性の影響を受けたものだろうが、これは到底、気質の基本的分類とするわけにはいかない。外向内向は、どの血液型にも存在する。というより周囲との関係により大きく左右される問題である。その時の状況や立場、また年齢によっても、同一人間が外交的になったり内向的になったりする。ただ、同じ外向性がO型ではどんな場合に現れ、A型ではどんな状況でそうなるかに違いがあり、それが問題となる。古川氏の調査では、すくなくとも血液型と性格が大きな関係があることは立証されている。だがこの能動受動の区別を性急に血液型に割当て、以後の性格分析の基本に据えようとしたところに難点を生じた。O型は意思型、B型が感情型などと、性格タイプを想定してしまったことも、あとをやりにくくする。実際の人間気質の複雑さは、従来の性格を現す日常語に簡単にあてはまってはくれない。もっとも、古川氏も、単に一時的の類別のつもりだったかもしれぬ。
 古川氏の著書の基礎になっている調査対象も問題だ。調査人数1228名。当時としては大変な努力であったと思うが、うち700名は女高師生徒、300名余が某騎兵隊の兵士となっている。青春期という年代も集団生活という状況も、気質的に不安定な条件となる。標準的な調査対象とはいえない。
 果たして古川氏の気質分析に対し、例外が多すぎるという反対論が続発した。しかし、古川研究に不備があったとはいえ、反対説はいっそう始末のいかぬ代物だった。古川氏には、まだ資料努力がある。反対派はほとんど資料ゼロの状態で、数人の例外らしきものをあげて、やみくもに騒ぎ立てる。
 まず、まったくの感情論???。
「血液型なんかで性格がわかるはずがない」
本文の説明のように、血液型の生理学的意味は、まだほとんどわかっていない。世界のどんな学者も「血液型なんかで」と決めつけられる者はいないのである。
 そして「はずがない」という言葉を、人類は長く聞き飽きてきた。「この世界が丸いはずがない」「地球が動くはずがない」あるいは「人間の先祖がサルのはずがない」等々。
 次の反対派は、科学的根拠がないという。科学的根拠を論理的根拠とするなら、私も本書で、それを、いと平易に示した。科学的根拠を、観察事実の客観性と統計的根拠とするなら、本書に一部かかげた事例でも充分以上であろう。古川氏も最小限、血液型と気質の相関関係だけは、統計的に示したのである。
 生理学的根拠がないと咎める人がある。だが現在、医学を含む人間科学で、それが明らかにされている分野は驚くほど少ない。それをいうなら、現在の心理学や精神医学の大部分は抹殺されなければならない。現に使われている医薬品のほとんどは統計的確率を根拠として実用に供され販売されている。百パーセント確実のはずの抗生物質でさえ、新しい耐性菌が現れたと狼狽する。その根拠が統計的なものだからだ。古川氏が「なぜ、私の説だけが百パーセントの完全を要求されねばならぬのか?」と悲鳴をあげた気持ちもよくわかる。
 気質や性格の分析こそは、そのパーセントを少しずつ高めながら、じりじりと対象に迫らねばならないものだ。百パーセントでないと騒ぎ立てれば、人間科学は一歩も進めない。
 現在も、たまに「血液型と気質の関係は、かつで学界で否定された」と言う人がいる。40年前の学界を基準にするのもおかしいが、(今もそうだから80年前ということになる....)いろいろ調べてみても、そんな事実はない。否定されているのは古川説であり、血液型と気質の関係ではない。(ある説が否定されたからと言って、その対象が否定されるわけではないのです。それは、現時点では証明できないというだけであり、将来証明できる可能性はあるというのが科学に対する誠実な姿勢である。)
 否定するにしても、同様に"科学的根拠"が必要なわけである。当時の学界は、古川氏の性急な気質分析の結論をとらえて、全体を袋だたきにするのではなく、実証された血液型と気質の関係を、これも実証的な方法で見つめる必要があった。第一、医学者が反対するのはおかしい。精神医学関係は別として、人間の心と行動の知識については、医者もまた専門家ではない。ときには文学者より素人である。
 古川説攻撃には、研究以前の学界の事情もあったのかもしれないが、このようにして戦前の血液型と気質の研究はうやむやにされ、日本は戦争時代にまきこまれていった。

研究ノート(2)へつづく

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Written by Ichikawa (ABType)
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